実家のある松浦市福島町の日の浦のYさんという方から、従妹のMちゃんを通して「土人墓」の場所などについて問い合わせがあった。「土人墓」といっても今の人には分からないと思うが、昔、身寄りのない方などが埋葬されていた場所である。
その場所は、子供の頃、何となく教えてもらっていて、子供たちは野遊びなどにおいてもあまり近づかなかったと記憶している。だいたいの場所を、「自分の子供の頃は、あの辺りと思っていた」と答えたところ、Yさんもほぼ納得されたようであった。
そのYさんが「土人墓」のことは、父の随筆―――通してください―――で知ったとのことであった。父の随筆をまとめたものは、このサイトで「九十三歳の詩」として紹介しているが、「通してください」の一文が何らかの理由で欠落していた。Yさんからその一文を送ってもらった。
内容は、全文をこの記事の最後に紹介しているのでぜひ読んでいただきたいが、弟、二人に送ると、良い内容と思うので、私のこのブログで紹介して欲しいとのことであった。日の浦には昔大きな炭鉱があった。私たちの子供の頃は、日の浦炭鉱はとっくに廃坑になっていたが、福島の島内には創業している炭鉱が未だ残っており、日の浦には炭住も残っていた。
日の浦炭鉱の写真をネットで探すと、長崎大学教育学部の井手弘人研究室が公開していた。その写真が以下である。

炭鉱の線路の奥の方に小高い山がうっすら映っているが、城ノ越と思う。私たち兄弟3人が、日の浦に住んでいた両親の家に集まった際の写真がある(以下)。

この写真には、城ノ越がきちんと映っている(一番高い山)。すなわち、この草原みたいな場所は、すべて炭鉱の作業場所であったということが分かる。
話が前後して申し訳ないが、土人墓の場所は、この写真の枠の左側の外辺りにあったと聞いていた。今、改めて父の書いたものを読むと、色々な感慨を覚えるが、父の母(だんべ川のばあちゃんと呼んでいた)が、困った人に親切にしていたことが書いてある。私が物心付いた頃にはおばあさんになっており、ただの(?)やさしい貝掘り名人のおばあさんだったが、困った人に親切にしていた祖母であったことを誇らしく思った。
さて、前置きが長くなったが、父の一文は、以下のとおりである。なお、日の浦の昔の風景は、このサイトで紹介している「木寺家の動画」でも見ることができる。
